縄文時代(じょうもんじだい;紀元前14000年-紀元前300年)に死体をこの人は生きている時に住んだ村に葬った(ほうむった)。そして死んでしまった小児(しょうに)が生まれたら、この小児の死体を陶器(とうき)の中に入り、母の家の入り口の前に葬った。母は死んでしまった小児の骨壷(こつつぼ)に立てたら、小児の魂(たましい)が母の中に戻る事が出来ると思われたためであった。縄文時代の人は「死んだ人と一緒に生きていた」-死体の近くに住んでいたため、たしかこの時代にケガレ(特に死穢)の概念はまだなかったと思われている。先祖(せんぞ)の死体を神聖なものとして大事にしたそうだ。

弥生時代(やよいじだい;紀元前300年-紀元200年)に死体を葬ることは大きな変化をとげた。この時代に死体を村の外にある墓地(ぼち)で葬った。弥生時代の人は先祖の代わりに神を神聖なものとして大事にしたそうだ。死んだ先祖のために儀式がなくなって、死んだ人の体は怖くなったそうだ。そのために、死穢(しえ)の概念が弥生時代に現れたと思う人類学者がいる。この仮説を証明するのは三世紀に書いた「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)という中国の年代記。この年代記は様々な日本の儀式についてインフォメーションを含み、葬り方についてもインフォメーションを含んでいる。魏志倭人伝によると日本人は死体を棺(かん)におさめ葬ったということである。その上、死んでしまった人の家族は10日間に哀悼(あいとう)し、哀悼の時にお肉を食べなかったそうだ。他の葬式に入る人はたくさん飲んだり、踊ったり、歌を歌ったりしていた。10日間の後で死んだ人の家族は川に禊(みそぎ)をした。禊とは水を使って、ケガレを洗うことだ。

このような死んだ人と接触する後の払うことは初めて「古事記」という712年に書いた日本の年代記で現れる。古事記によるとイザナミという神は火の神を生んだ後で死んでしまった。イザナギというイザナミのご主人は女房を見つけるために黄泉の国(よみのくに)という死んだ人の国に行った。女房と会った時、彼女を見ないと約束した。けれどもイザナギは約束を破り、イザナミを見、彼女の腐っている体を見た。そのため、イザナギは逃げ、泉(いずみ)の中でお祓いをした。古事記は8世紀に書いたため、この時に死穢の概念が現れたと思う人類学者もいる。

大仙陵古墳 (だいせんりょうこふん)
その上、死穢の概念は古墳時代(こふんじだい;250-538年)に現れたと思う人類学者もいる。この時代に人間は古墳の中にある特別な所に死体を入れる時、この古墳の中にある他の腐っている死体を見て、死体を嫌く、怖くなったそうだと思う学者もいる。そのため死穢の概念は6世紀に現れたということの可能性もある。

起源(きげん)origin
仮説(かせつ)hypothesis
紀元前(きげんぜん)B.C.
葬る(ほうむる)bury, entomb
小児(しょうに)infant, little child
陶器(とうき)china, pottery
骨壷(こつつぼ)urn
魂(たましい)soul
先祖(せんぞ)ancestor
墓地(ぼち)cemetery
死穢(しえ)impurity of death
年代記(ねんだいき)chronicle
棺(かん)coffin
哀悼(あいとう)mourning
泉(いずみ)spring

